モー様が死んでしまった

モー様が死んでしまった。
モー様というのはわたしの旦那(通称「先輩」。以下「先輩」と書く)の実家にいる猫のことだ。
先輩の実家には4匹も猫がいる。その中でモー様はなんと21歳にもなる、むしろもう猫又?みたいなご長寿猫だ。

わたしはモー様をモー様と呼んでいる。もちろんモー様までが名前ではなく、名前はモーだ。
なぜわたしが様付で呼ぶのかというと、初めて先輩の実家に泊まることになったときの出来事が関係している。

☆ ☆ ☆

初めて訪れる結婚相手の実家というのは、わりと誰でも緊張するものだとおもうが、わたしはと言うと、ちょっとびっくりするぐらい普段から挙動不審であり人見知りであり「石橋は叩きまくってから渡るタイプ」と言われるぐらいの人物だ。何が言いたいかと言うと、先輩の実家にたどり着く10分の間に確実に7回以上は「帰りたい」と言っていた。たまに止まっていた。

オートマティックに左右の足を動かしていると、もちろん駅から徒歩10分の距離だし隣に住んでいた人間がいるのだから迷うこともなく着いてしまった。心の準備を待ってくれることもなく無慈悲にピンポンを押す先輩である。
そうして開いた扉から、ひとのよさそうなメガネをかけたお義母さんが顔を出した。そう、知っていた。めっちゃいい人なんである。そしてわたしは先輩の家族が好きなんである。それでも緊張するのがわたしだった。目が泳ぎそうになるのをぐっとこらえながら、普通っぽい挨拶をする。限りなく笑顔に似たなにかを浮かべながら、ぎこちなく靴を脱ぐ。ああああああ始まってしまったぞおおおおおおお。

だけどその家には猫がいた。しかも、3匹も。(その時はまだ1匹いなかった)
わたしは自他ともに認める猫好きだ。ずっと昔から。しかも団地住まいで猫を飼えなかったから、憧れが濃縮されている。
そしてその家には猫がいた。しかも、3匹も。

結婚相手の実家に猫がいる、というのはなんて素晴らしいことなのだろう。
リビングでいろいろ雑談していると、猫が近寄ってくる。なでさせてくれる。猫について話す。猫に見惚れる。相手も猫好きだから話に花が咲く。圧倒的好意がわたしの緊張を溶かして、顔を弛緩させる。リラックス。いつもどおりのわたしになる。

なついてくれたモッファモッファした白猫の背中を陶酔状態でなでていると、お義母さんが「モーは出てこんなあ」と言った。どうやら階段上にいるようで、なかなか他人がいるときは下りてこないらしかった。
話に聞いていた、小学生の先輩が秘密基地の廃車の中でこっそり育てていた猫。お義母さんが「捨ててこい!」と言いながら、結局可愛くなってしまって飼うことになった猫。
会ってみたかったけど今回は無理かもしれない。

そんなこんなで夜が更け、1階の仏壇がある部屋に布団をしいてもらったわたしたちは、布団の上でなにか、たぶん、すごくどうでもいい話をしていた。
その時、ふと顔をあげたわたしは襖の隙間から猫がこちらを覗いていることに気づいた。
黄土色と白の毛並み、チャシロの猫の目がじっとわたしを見ていた。
齢のせいか毛はぱさぱさとして艶がなく部分的にハゲているけど、引き込まれそうなほど真っ黒な印象的な瞳をしていた。
動くと行ってしまいそうな気がして、というかなんというか静謐な厳か感に圧倒されて見つめ合っていると、ふいっとどこかへ行ってしまった。のそっ、のそっ、とした足どりで。
わたしはデジャヴを感じていた。これと同じシーンをどこかで見たことがある、と。

もののけ姫のシシ神様じゃん…!!!!

わたしを見定めるために来たのではないだろうか。内心ドキドキしていた。
次の朝、モー様はふつうに食卓に顔を出した。それってOKってことですか?わたし許されました?ウオオオオと勝手に胸熱だった。

そうして、わたしはモーちゃんをモー様と呼ぶようになった。

☆ ☆ ☆

今日。10月25日の昼、先輩が携帯を見ながら言った。
「モー、死んだって」
モー様が死んだ。21歳。わたしはほかにこんな長生きをした猫を知らない。

数日前にお義母さんから連絡があった。謎のプロポーズ宣言(「次会うとき、俺プロポーズするから!」)をしていた先輩の妹の彼氏が無事予定通りにプロポーズをしたとのことだった。来月家に挨拶にくると。お義父さんはもうすでにさみしいらしいと。
二人の結婚は二人の思いとは別のところでちょっと難しい局面を迎えたりもしていたから、お義母さんはどれだけほっとしたことだろう。
妹さんをずっと支え続けていたのはお義母さんだった。大げさじゃないふうに、さりげなく、でもしっかりと。それを今も仕事をしながら続けてきた。
モー様は去年の年末危篤状態になって、お義母さんの看病があってずいぶんと持ち直し、1年弱も寿命を延ばし続けてきた。

わたしが「見定めに来たんじゃないか」なんて思うのも、人間の勝手な見方だとわかってる。きっと通りすがりにちらっと見ただけ。でも、勝手な見方を続けるなら「見届けたのかも」なんて思ってしまう。
勝手だなあ、きっと違う。
でも、本当に賢い猫だった。それからお義母さんが大好きだった。あの家の守り神だった。どんな特殊な力がなくても、精神的に支えになる力を実際持っていた。

モー様が死んでしまった。
顔に出してないけど、先輩もきっとさみしい。
来月日本に一時帰国する予定だから、そのときふうちゃんを見てもらいたかったな。もう一度会えたらよかったな。でもでも何よりおつかれさまでした。
モー様の家族の末席に加えて頂いて、わたしとても嬉しかったです。

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